風間完の赤毛のアン
良心の呵責よりも一ぴきの蚊のほうが眠りの邪魔になる
『アンの幸福』村岡花子訳
ある日の出来事
東京新聞2002.12.4朝刊コラム「わが街わが友」で、風間完さんが“迷いこんできた一ぴきの蚊は良心の呵責よりも私を不眠にする。と赤毛のアンも言っていますが”とアンのことを語っていました。風間完さんといえば新潮社文庫のアンシリーズの表紙を描いた方。一体どんなお方なのでしょうか?
ある休日の午後、私は緊張した手で電話の受話器を持ち電話機から聞こえてくる呼び出し音をドキドキしながら数えていました。1回2回3回4回5回……そして「もしもし」という声に変わり私の緊張も最大をむかえました。なぜなら受話器の向こうにいるその声の主は画家の風間完さんだからでした。東京新聞のコラムを読んで風間完さんにお手紙さしあげたところ、手紙を書くのが億劫だから、電話でお話しましょうというお返事を電話番号とともにいただいたのです。
風間完さんが描かれたアンシリーズの表紙はけしてイメージにあったものではありませんでした。しかしアンの物語を読もうとしている者にとっては、風間完が描いた絵から、主人公アンが成長し幸せなときを過ごし、そして戦争という暗い時代に突入していく様をその絵から想像できたのではないでしょうか。アンファンには村岡花子さん訳が、まだアンを知らない人には風間完さんの絵が、この2枚看板が新潮社文庫アンシリーズのロングセラーの秘密なのかもしれないと私は思います。私が自分のお小遣いで『赤毛のアン』を買う頃には新潮社文庫のアンシリーズは既に風間完さんの絵が表紙でした。初めて手にした時から気になっていた新潮社文庫の表紙、風間完さんご本人に直接うかがう機会がこうしてめぐってくるとは夢にも思いませんでした。
風間完さんは、この文でモンゴメリの機知(ウイット)と頓知に大変驚かさせられ、「良心の呵責」と「蚊」を同じ舞台に登場させたモンゴメリのユーモアを大いにかっていらっしゃいました。この一文を大変気に入られた風間完さんは人が(自宅に)来たとき、相手が理解してくれるかは別として、よくこの「良心の呵責と蚊」のお話をするそうです。東京新聞に掲載されたお話は風間完さんの十八番だったのです。
アンシリーズのお仕事については、30年ぐらい昔に忙しく読んで調べて描いた記憶があるとおしゃっていました。その中で「良心の呵責と蚊」といったような風間完さんにとってインパクトのある部分を所々に覚えていらっしゃるようです。とりわけ楽しみにしているわけではないのだけれどもということを付け加えながらNHK(BS)で放送されていたアニメ「赤毛のアン」をよく見ていることも教えてくれました。
アンに限らず挿絵のお仕事の時には必ずその文章を読まれるそうです。しかし、知らないものは上手く描けないと正直におっしゃられていました。もっと正直なことには「知らない景色は欧羅巴の町並みのスケッチをどこから持ってきたんだよ!」なんて今だから明かせる?アンシリーズ表紙の舞台裏を教えてくれました。気になる表紙の絵となった原画ですが、今はどこにあるのか聞いたところ、残念ながらすっかり忘れてしまい分からないとのことでした。風間完さんのアトリエか新潮社の倉庫でいつか発見されるのを期待したいと思います。
その他、私のこと、戦争(イラク)のこと、村岡花子さんのこと、とりとめ・・・のない話を25分ほどしましたが、緊張して私はだいぶ支離滅裂になっていたと思います。受話器を置いたあと、急いで辞書で「機知」という言葉を調べたのは言うまでもありません。心臓がドキドキしながらも貴重な体験をさせて頂きました。風間完さん、どうもありがとうございました。(2003年3月)
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